八百屋の店先に立てられた募集の看板――それは予想していた通りのものだった。
「やっぱりか……。」
一家が亡くなれば、その店は当然、新たな買い手を探すことになる。 土地は領主の物で、管理をするのは役場。売り買いの権利はなく、領民はただ借りるだけ。
毎月、売上の何%が家賃として課されるのか、それとも定額制なのか――。 そんな仕組みを考えながら、俺はふと疑問を抱く。「……でも、まだ契約が残っているんじゃないのか?」
八百屋を営んでいた一家がいなくなったとはいえ、契約期間が完全に終了しているわけではないはずだ。
役場はどう処理するつもりなのか――。
俺は少し息をつきながら、視線を先へ向けた。
役場へ行くのは初めてだ。制度に関する細かな手続きを考えると、少し緊張する。
だが――その不安よりも、俺の胸に残るのはレイの寂しそうな表情だった。
あの表情を思い出すと、どうしても胸が苦しくなる。
「はぁ……よし、行くか。」
俺は静かに決意を固め、役場へ向かって歩き出した。
役場に着くと思い切って役場の人間に声を掛けた。「なあ、八百屋の物件について聞きたいんだが……」
緊張を隠しきれず、慎重に言葉を選びながら尋ねる。
「――あー、あの物件ですか。」
役場の職員は軽く目を細めながら答えた。
「立地もいいですし、商売をするなら好条件ですよ。」
その口調は、まるで単なる契約交渉のようなもの――すでに、店の元の持ち主のことなど考えていない様子だった。
俺は少し息をつき、表情を引き締めた。「あの店の子供を保護しているんだが、まだ契約の期限が残っているんじゃないのか?」
不快さを隠さずに問いただす。
その瞬間、職員の態度がわずかに変化した。
「子供ですか……?」
その言葉には、興味ではなく明らかに面倒くさそうな響きが含まれている。
「その子供が商売をして、家賃を払うと?」
まるで相手にする価値がないと言いたげな目つき――俺を追い払うための態度が露骨に表れていた。
俺は一歩踏み込むように問い詰めた。「期限はどうなんだ?」
「……期限と言いますがね。」
職員は軽く肩をすくめながら、淡々と言葉を続ける。
「今月分の稼ぎで今月末の支払いをするんですがね……。家賃と税金もですよ、商業区画なので。税金を徴収できる見込みのない方にはお貸しできませんよ。ましてや子供になんて……。」
その言い分は理解できる――役場としては当然の対応かもしれない。
だが、話はそれだけでは終わらない。
この子供の家族は領主の欲望の争いに巻き込まれて殺された。
ただの契約や収支の問題ではない。
それを考えれば、もう少し柔軟な対応があってもいいはず――。
「話は終わったか?」背後からの声に、俺は反射的に振り向いた。
「いや。まだだ!」
苛立ちを隠せずに言い放つ。
「私も、その物件を借りたいんだが!」低い声の男が、一歩前に進みながら話を続ける。
「話を聞いていると、その子供が商売をできるとは思えんぞ? キミは何をしたいんだ?」
言葉の鋭さに、一瞬言葉を詰まらせる。
俺は――レイに帰れる場所を残してあげたいだけだ。
それだけなのに、どうしてこうもうまくいかない?
商売をさせたいのか?
いや、レイにはまだ無理だろう。
家賃なら払えるが、税金となると売上が必要になる。
野菜の仕入れ、値段の交渉、価格の設定――そんなことを今のレイに任せるのは、到底できることじゃない。
「少し待ってくれないか?」懸命に言葉を絞り出すが、相手にされない。
「……出て行け。」
その男は手を軽く振り、まるで俺を追い払うような仕草をする。
無視して食い下がっていると――
次の瞬間、兵士が俺の腕を掴まれ拘束された。
逃げるのは容易い、兵士を倒すのも容易い、だが……この町を買い物や生活費を稼がなければ……。逃げ出すのには、人目がありすぎる――そう判断し、俺は大人しく捕まり、連行される道を選んだ。
初めての牢屋。薄暗く冷たい石造りの壁に囲まれ、鉄格子が目の前にそびえ立つ。
……寝床もなければ、椅子もないか。
俺は静かに息をつきながら、心の中でぼやいた。
しかし――思い返せば、初めから領主に会いに行けばよかったんじゃないか?その方が手っ取り早かったはずなのに――失敗した……!
「なあー! そこの兵士の人! 話があるんだが!」俺は鉄格子越しに兵士に声を掛ける。
だが、無反応。
「なー! 領主と知り合いなんだが!」
そう続けても、兵士は俺の姿を一瞥しただけで何の反応も示さない。
服装が悪いか? いつも着ているのはボロボロの農民風の服だし、こういうことを言う奴はきっと多いのだろう。
まともに取り合ってもらえるわけがないか……。
俺は諦めて冷たい床に寝転がりながら、領主と知り合いだと証明できるものを思い出した。――あるじゃないか。
一つだけ、俺が持っているもの。
そう……領主から、なにかあれば役立つと渡された物。それは、領主の紋章が入ったネックレスを貰っていた。
さっきまで怒鳴っていたとは思えないほど、ぽつりと落ち着いた声。 その赤い瞳は、どこか素直で、頼るように揺れていた。「……まあ、討伐が仕事だからな。」 視線を逸らしながら答えるユウの声は、なぜか落ち着かない。 リリアの柔らかさと温度が、近すぎる距離で伝わってくるせいか——。「……それに、ユウ様はとても頼りになりますわね」 くるりとユウの前に立ち、まっすぐに見つめるリリア。 その視線は真剣で、どこか期待するようだった。「……お前、いつももっと偉そうにしてるよな。」「なっ……なにを!? わたくしは常に上品に、ただ気高く……!」 途中まで勢いよく反論するも、ふと視線を泳がせ、頬が赤くなる。「……でも、その……今回は少しだけ、頼ってもいいかしら……?」「……俺に頼るって、お前らしくないな」「ち、違いますわ! わたくしはただ……状況的に仕方なく、そう、戦略的な意味で! そうですわ!」 ユウは苦笑しながら肩をすくめる。「ま、好きにしてくれ……」「ふんっ……最初からそう言えばよろしいのですわ……よ。」そう言いながらも、リリアはしっかりとユウの袖を握っていた。 森の探索を中に——ぽつり、と頬に冷たい雫が落ちた。「……あっ、雨……?」 リリアが空を見上げた瞬間、突如として空が鳴り、激しい雨が降り出した。「マズいな、こっちだ。走れ!」 ユウは手を引き、リリアを連れて駆け出す。ほどなくして、木陰の中にぽつ
その瞬間、リリアが腕にぎゅっと抱き着く。「きゃっ……! わたくし、ちょっと驚いてしまいましたわ!」——と言いつつ、頬をぷいっとそらしながら、無意識に俺へ寄り添い頬を軽く膨らませながら顔を上げる。「…………。」 ただ、頬をほんのりと赤く染め、ちらりとこちらを伺うだけだった。 ……え? いや、なんだこの可愛らしい仕草? 普段と違う、わずかに揺れる視線。 普段のリリアなら、気丈でプライドの塊みたいな態度なのに——なぜか、まるで別人のような無邪気な反応を見せている。「な、なんでそんなにくっついて……」 思わず戸惑いながら言葉を返すと、リリアはふわりと微笑む。「だって、ユウ様がそばにいらっしゃると……安心できますもの。」 その言葉が、思いのほか真っ直ぐで—— ——不意に、俺の胸が軽く鳴る。 何だこれ。変な感じだ。 しかし、すぐに気配を感じた。「っ、魔獣——!?」 俺はリリアを軽く抱き寄せ、反対の腕をかざす。 魔法の陣が瞬く間に発動し、閃光が飛ぶ。 魔獣の咆哮が短く響き、次の瞬間に魔獣は沈黙しその場に横たわる。 戦場に、ひとつの静けさが戻る。 ——そして、俺の腕に抱き着いたままのリリアが、目を輝かせて俺を見つめた。「すごいですわ……! ユウ様が戦うお姿を、こんなに間近で……見れるなんて!」 リリアは、何の飾りもなく無邪気に喜び、キャッキャと声を上げる。 それはまるで——普通の女の子のような反応だった。 俺はじっと彼女を見つめる。
湿った土の匂いと、葉が揺れる微かな音。しかし、その静寂の裏には確かに異質な気配が漂っている。「……っ!」 レオの肩がびくりと跳ねた。 魔獣の咆哮が響き渡り、地面が揺れる。近衛兵たちは即座に動き、戦闘態勢へと移った。 しかし、ただ守るだけではない。 彼らの役目は単なる護衛ではなく 「王子の活躍の場を確保する」 という難しい任務も抱えていた。 魔獣の巨体が木々の間から姿を現した。唸り声とともに鋭い爪が地面をえぐり、空気を引き裂く。 レオは怯えながらも、ちらりと近衛兵の動きを見る。「……ボ、ボクもやる!」 そう言いながら、ショートソードを握る。しかし、手にはわずかな震えが残っている。 近衛兵たちは巧みに動き、あからさまに倒すのではなく、攻撃をいなすように戦う。魔獣の動きを制限し、レオが攻撃しやすい形に誘導する。「レオ様、今です!」 促される形で、レオは剣を振り下ろした。ザシュッ! 刃が魔獣の肩をかすめる。決定打ではないが、それでも 「確かに攻撃が通った」 という手応えがあった。 レオの目が輝いた。「やった……やったぁ!」 怯えは少しずつ薄れ、楽しさが込み上げる。しかし、魔獣はまだ健在である。「調子に乗るなよ、レオ。次の動きがくるぞ!」 ユウが声をかけた瞬間、魔獣が大きく跳躍する。 近衛兵たちが即座に反応し、レオの前へ飛び出した。 鋼の剣が閃き、魔獣の爪を弾く。その間に、レオは息を整え、次の攻撃のタイミングを測る。 ——戦場は混沌としている。しかし、レオの中には 確かに戦う意志が生まれ始めていた。 森の戦場は徐々に整備され、討伐の拠点が構築されていく。 レオの戦闘は近衛たちに任せても問題なさそうだが、万が一に備え、目の届く範囲で自由に動かせる。魔法が届く距離にいれば、即座
大所帯になってしまい、物資も大量になり馬車の隊列を作る事態となっていた。まるで戦場に向かう隊列だった。俺が前回「料理人も必要だな」と言ってしまい、俺が喜んでいたので今回も用意されていたのだ。 リリアは同じ馬車に乗ろうとしていたが、リリアのお付が「王子殿下と同じ馬車は……さすがに控えた方が。」と言われ不満な顔をして自分の馬車へ乗り込んでいた。 二人だけの広く豪華な馬車にレオと二人っきりになってしまった。だが、お互いに気を遣うこともなく寛いでいた。「なあ、なんで俺に懐いてるんだ?」 ずっと抱えていた疑問。 初めて出会ったとき、レオは冷たい目線を向け、意地悪そうな表情で試すような言葉を投げかけてきた。 それが今ではデレデレの笑顔で、俺の膝枕で甘えてきて寝転がっている。完全に警戒もしておらず、近衛も護衛も同席をしていない。「ん? ユウ兄が大好きだからぁ♪」「だから、なんで好きなんだよ? 初めは、挑戦的と言うか絡んできたよな? 実力を見ようとして。」「あぁ~そうだったっけぇ~? えへへ♪ エリー姉の旦那さんだしぃ~いいじゃん♪ ボクさぁ……エリー姉は姉弟だけどぉ……一緒に過ごしてなくて、兄弟って知らないんだよね。今まで、甘えられる人もいなかったしぃ……こんな関係、受け入れてくれる人いなかったんだぁ。普通に怒ってくれて、普通に接してくれる人がさぁ。」「そっか。」レオの言葉に納得してしまった。 甘えさせてくれる兄弟か。兄弟でも、ここまで甘えないと思うが……ま、レオの兄弟のイメージなんだろうな。好きにさせてやるか。エリーの弟なんだし。実際に義理の弟なんだからな。 俺の膝にぷにぷにの頬を押し付け、頬ずりをしてくる可愛いレオ。その片方の頬を指で突っつく。 陽が傾き始めるころ、やっと俺たちは森へと足を踏み入れた。 レオは軽装備に身を包み、革の胸当てとショートソードを腰に備えている。彼の小柄な体には過剰な装備は不要で、軽快な動き
問題が解決したリリアたちはなぜか未だにその場に留まっており、リリアはほっとした表情を浮かべている。 ……もしかして、王子が楽しみにしていた冒険に行けるのかを心配していたのか? ユウはふと疑問を抱きながら、リリアへ視線を向けた。「リリアたちは帰ってもよかったんだぞ?」 急に声を掛けられたリリアは、体をビクッとさせた。「……わ、わたしも、同行しますわ。せっかくですもの。興味がありましたし。」 ユウはその言葉に、心の中でため息をつく。 あぁ、これはウソだな。 上級貴族のお嬢様が、冒険に興味があるわけがない。しかも、レオの場合……どうせ駄々をこねて泊まると言い出す。そんな環境で貴族の娘が耐えられるわけがないだろう。 そもそも、この冒険とやらは魔物や魔獣の討伐だ。貴族のお嬢様がそんなことに興味を持つとは到底思えない。 ユウは少し眉をひそめながら指摘する。「冒険といっても、獣や魔獣の討伐だぞ? たぶん……泊まりになると思うが、大丈夫なのか? その前に、両親の許可が出ないだろ……。」 その言葉に、リリアはむぅぅ……と声を漏らし、目を潤ませた。 ……困っている。 それは彼女にとって、屈辱だったのか、それとも単に認めたくないだけなのか——。 こいつもなのか……? レオと同じで無許可で同行するつもりだったのか? みんなして、俺を犯罪者にしたいのか!? 公爵令嬢を無断で連れまわし、外泊させたとなれば……どうなるんだよ。まったく。 ユウは静かにリリアを見つめる。「……わたしが決めることですわ。ユウ様にどうこう言われる筋合いはございませんわよ。」 強気な言葉とは裏腹に、どこか不安そうな声音。 ユウはため息をつきながら、視線をレオへ向ける。 レオは変わらず無邪気に笑っている。「ん……ボクが同行を許可するっ♪ 人数がいっぱいの方がたのしぃー」『……楽しいのは、お前だけだろ!』と声に出したい気持ちをぐっと堪えつつ、俺は周りの様子を伺う。
王子自らが「許す」と発言したことで、リリアの緊張は一気に解けた。「お、お許し感謝申し上げます。王子殿下……」 かしこまった口調で声を震わせながら、深々と頭を下げるリリア。 これまでの勝気な態度は消え、礼儀正しく従うべき存在へと完全にシフトしていた。 ユウは、それを見つめながら、近衛兵へと視線を向ける。「リリアたちへの罪は、なくなったよな。手を出すなよ。」 静かに念を押すと、近衛兵たちは黙って頷いた。 その瞬間、リリアの表情がぽわーっと変化する。 安堵と共に、頬がほんのり桃色に染まり、ユウへ向けられる視線が変わった。 驚きの中に、何か別の感情が滲んでいる。 ——惹かれた。 今まで、彼女にとって誰もが自分に従い、気を遣う存在だった。 だが、ユウは違った。素っ気ない態度をとり、なのにリリアを庇い、危険を顧みず堂々と場を仕切り、圧倒的な存在感を持っていた。 それが新鮮だった。 それが……気になる。 それに——惹かれる。 リリアは、自分の心が静かに揺れるのを感じながら、ユウをじっと見つめていた——。 それに続き「手を出すなよー! ボクも怒るからぁっ」レオが俺のまねをして言ってきた。つい可愛くて、レオの頭をガシガシと再び撫でると、撫でられたレオが嬉しそうな顔をして見つめてきた。 近衛や護衛たちは王子の言葉に従い、恭しく膝を折って「かしこまりました」と返答した。その様子を眺めながら、俺は改めてレオの権力の重みを感じる。 王子という肩書きを持ち、彼の言葉一つで場が動く。そんな存在を、俺はこうして頬をむにむにと摘まんでいるわけだが——。「なぁ、冒険に出るのは構わないが、保護者に言ってきたのか?」 前回はちゃんと了承を得てから出かけた。だが、無断で王子を連れて森へ行くとなると話が変わってくる。万が一